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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
所蔵場所 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
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1 |
ミライon | 1211474420 | 130.4/ヒ-18/ | 3F | 開架図書 | 帯出可 | 在庫 |
○ |
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
図書(一般) |
著者名 |
山内 志朗/編
納富 信留/〔ほか〕著
|
著者名ヨミ |
ヤマウチ シロウ ノウトミ ノブル |
出版者 |
慶應義塾大学言語文化研究所
|
出版年月 |
2018.2 |
ページ数 |
273p |
大きさ |
22cm |
ISBN |
4-7664-2500-0 |
分類記号 |
130.4
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書名 |
光の形而上学 |
書名ヨミ |
ヒカリ ノ ケイジジョウガク |
副書名 |
知ることの根源を辿って |
副書名ヨミ |
シル コト ノ コンゲン オ タドッテ |
内容紹介 |
世界の初めに、光を置くのか、言葉を置くのか。その違いは世界観の対立を表すものなのだろうか。古代ギリシアからルネサンス、中近世まで、知の歴史における2つの問題圏<光と存在>をめぐって、気鋭の論者たちが挑む。 |
著者紹介 |
〈山内志朗〉1957年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。慶應義塾大学文学部教授。専門は中世哲学。著書に「普遍論争」「存在の一義性を求めて」など。 |
内容細目
No. |
内容タイトル |
内容著者1 |
内容著者2 |
内容著者3 |
内容著者4 |
1 |
プラトン「太陽」の比喩 |
納富 信留/著 |
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2 |
光の超越性と遍在性 |
土橋 茂樹/著 |
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3 |
プロティノスにおける光と言語の形而上学 |
樋笠 勝士/著 |
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4 |
中世存在論における唯名論 |
山内 志朗/著 |
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5 |
トマス・アクィナスにおける「光の形而上学」の可能性 |
上枝 美典/著 |
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6 |
太陽の光はなぜ熱いのか |
神崎 忠昭/著 |
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7 |
15世紀シエナ美術における光と影 |
遠山 公一/著 |
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8 |
東方キリスト教圏の光に関する体験的言説とその特質 |
谷 寿美/著 |
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9 |
弾む御言、差し込める光 |
香田 芳樹/著 |
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10 |
神の光、そして預言者とイマームたちの光 |
野元 晋/著 |
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11 |
同一性と指示詞に基づく論理体系 |
藁谷 敏晴/著 |
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